来福軒物語(最終回)

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それには以前の「とんこつ会」のような存在が必要になる。

吉野は、再び久留米ラーメンの栄光を取り戻すべく、今度は自らの発案で 新しい団体を結成しようと決めた。

しかし、B-1グランプリ出場に エントリーするには、もうギリギリの時間しか 残されていなかった。

それでも吉野は、思い立ったら即行動の性格。

吉野の奔走で呼びかけにより集まった 『清陽軒』・『南京千両』・『ひろせ食堂』 が加わり、登録に漕ぎ着けたのが 締切最終日の夕方近く、出場団体中で一番最後、なんとか滑り込みのギリギリセーフだった。

やっとの思いで2009年8月1日 『久留米ラーメン会』 結成。

わずか四軒だけでの小さな船出だった。

こうして、新生 「久留米ラーメン会」 の第1回九州B−1グランプリ出場が決定した。

2009年11月7日(土)・8日(日)の2日間 『第1回九州B−1グランプリ』 が久留米市の中心街3会場で開催され、九州各県から自慢の ご当地グルメが出品した。

久留米からは 「やきとり文化振興会」と「久留米ラーメン会」 が出店した。

2日間の来場者数は合計で18万人。

これは久留米の人口30万人の過半数以上に匹敵するもので、久しぶりに久留米の街中は賑わいを見せた。

B−1グランプリの結果は、出品14のB級グルメの中で、「久留米やきとり」が1位、「久留米ラーメン」は3位だった。

それでも久留米ラーメン会結成から 僅か3ヶ月のスピードで、B-1グランプリ堂々の 三位に入賞したのは、正に偉業ともいえるものだった。

しかし、結果よりも貴重だったことは、いくら「久留米ラーメン会」のメンバーであるとはいえ、本来ライバルである筈のラーメン店主達が「町興し」という一つの目標のために 互いに協力してイベントを盛り上げたことだ。

これは、未だかつてありえなかった事であり、これが本当の意味で一番価値のあることだったのではなかろうか。

吉野が立ち上げた 「久留米ラーメン会」 は、その後も数々のイベントにも出店。

会は参加希望のラーメン店を新たに迎え 現在では11店になった。

“スープの煮込み時間は半世紀以上” 久留米の歴史と文化を守り続けたいと願う、ひとりの男の熱い想いが 歴史を動かした。

今年で創業から58年目を迎える来福軒。

2011年3月九州新幹線全線開通で、ついに久留米にも 新幹線がやってくる 記念すべきこの年に、吉野は「来福軒」をリニューアルすることを決めた。

いま新幹線だけではなく “とんこつラーメン” という線路が、九州で一つに繫がった。