来福軒物語(第一回)

久留米ラーメンの歴史と文化を守り続けたい 変わらぬ想いで届ける 夫婦二人三脚で歩んできた 58年。

昭和29年、日本経済が戦前の水準に復興し、急激な成長を見せ始めたころ、国鉄久留米駅前に夫婦で営む一軒の屋台がオープンした。

とんこつラーメンで客をもてなすその屋台こそ、現在の来福軒の原点

国鉄久留米昭和31年当時(中央に駅が見える)丁寧にスープをとった純粋なとんこつスープは評判を呼んだ。

昭和 39 年、日本に初めて新幹線が開通し 東京オリンピックが開催されたこの年、来福軒は現二代目の亮が誕生したのを機に 店舗を構えるようになる。

屋台からの味をそのままに、夫婦は二人三脚でラーメンを提供し続け、「駅前ラーメン」の名前でも親しまれるようになった。

日本中が高度成長期の真っ只中、当時の「ブリヂストン」 「アサヒ靴」 「月星化成」 のゴム会社も全盛期、久留米の街中が活気に満ち溢れ、来福軒もまた 地元の労働者たちの胃袋を掴みながら人々の中にしっかりと根付いていった 。

来福軒の成長と合わせるかのように、両親の寵愛を受け 二代目の亮もすくすくと成長した。

幼いころの亮の遊び場所はラーメン屋の中。

いつも父である親之がラーメンを作る背中を見て育った亮は、幼いながらも 「いつかは自分もラーメン屋になりたい」 と思うようになっていた。

55 年、来福軒は同じく久留米駅の目と鼻の先にある現店舗へ移転すると共に、食の多様化を睨みそれまでのラーメンに加え 「中華メニュー」 を採用。

久留米では珍しい、本格中華も食べられるラーメン店として 新たなる道を歩み出したのである。

数年後、大学を卒業した亮は来福軒のメニューを更に充実させるべく 老舗中華料理店の門を叩き 4 年間料理の修業を積んだ。

その後、故郷の久留米に戻り、父である「来福軒」初代吉野親之の下で再修業し さらに腕を磨いた。

現在、久留米市内で屋台から続くラーメン店は、来福軒を含め 6 店のみ。 

『スープの煮込み時間は半世紀以上』 初代夫婦が守り続けてきたその味は、二代目夫婦に引き継がれ“久留米ラーメン”の歴史と文化を伝える一杯なのだ。

来福軒のラーメンは 創業当時から変わらぬ純とんこつラーメンの あっさりとした味で 「昔ながらの久留米ラーメン」。

脂は少なめで 見た目よりあっさりしたスープで 飽きがこないから、老若男女お客を選ばずファンも多い。

「麺」は自家製麺でツルツルした食感が堪らない。

チャーシューは肉本来の味を引き出しながらも 主張し過ぎずラーメンの邪魔をしない。

これに「キクラゲ」「ねぎ」が入る。


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